INTERVIEW

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公門章弘様
税理士

地域で若手No.1の税理士になれた理由

地域で若手No.1の税理士になれた理由
佐賀県の人口は約86万人。中心都市である佐賀市は約24万人。あなたが少しでもビジネスを知っているのであれば、この数字がどんなものかわかるだろう。東京や大阪などとは比べるまでもなく、マーケットとしては決して大きくない。

士業の場合、ある程度仕事は決まっている。税理士や社労士なら企業顧問。行政書士なら許認可といったように、企業の数に依存せざるを得ないのが実情だ。最近でこそ、セミナーやコンサルティングなど、マーケットに依存しないビジネスを取り入れる士業事務所もあるが、現実的には企業の数、つまりマーケットに比例せざるを得ないのが実情。つまり、人口が少ない場所ではビジネスは伸びない。これが士業ビジネスの鉄則だった。

しかし、それを覆した例がある。佐賀市で創業13年を超え、今なお売上を伸ばし続け、佐賀県若手ナンバーワンの呼び声も高いのが、公門章弘税理士だ。開業13年。現在も1億超えの事務所だが、今後はさらなる発展を目指している。今回、天才塾の会員でもある公門税理士にその経営手腕について、独占的にインタビューをすることに成功した。
今振り返って、13年間、率直にどんな感じですか?
「あっという間でしたね。開業前は、3つの会計事務所で6年くらい勤務し、勉強させていただいたのですが、その後独立し、本当にあっという間にここまできたような気がします。」
元々、税理士になりたかった?
「そうですね。大学の頃から。とはいえ、ピンポイントで税理士というよりは、コンサルタントに興味があったんですよ。経営コンサルタント。大学は国立大学で、経済が専攻だったのですが、将来を考えるとき、中小企業診断士が面白そうだなあ、と。ただ、どんな書籍を読んでも、診断士で稼いでいるという事例はあまり聞かない。

で、いろいろ考えて、指導教授のアドバイスで「税理士はどうだ?」ということで、ぜいりしを知りました。独立ができ、中小企業の支援ができると。そして、税金はなくならない。一生の仕事にできる。だから、まずは税理士を取ろうかというところがスタートでした。」

税理士の場合、学生時代から合格を目指して計画する人が意外と多い。しかし、その中でも、単に税理士が儲かりそうと考えるのではなく、「税金はなくならない」つまり、事業が永続しやすいと考えた公門税理士の視点はこの頃から輝くものがある。
大学卒業後、すぐに会計事務所に勤務されたのですか?
「大学院に行って、資格予備校に行って、ダブルスクールしてました。私は1年大学浪人してるので、結果的に28歳で社会に出ました。そこからは会計事務所一本でしたね。福岡県の久留米市と、佐賀市と福岡市。様々な経験を積むため、あえて3つの会計事務所で勤務しました」

場所が近いとか、条件が良いとか、案外何の考えもなしに「とりあえず会計事務所」と考えてしまう税理士開業志望者が多い中、公門税理士は意図的にタイプの違う会計事務所を選択し、経験を積もうと考えたという。そうすれば、開業後に様々な案件に対応できるからだ。
勤務した会計事務所はどのような違いがありましたか?
「まず、システムが違う。それから、先生の年齢が違う。最初は、久留米の老舗の事務所だったんです。そこが50歳過ぎの先生ですかね。次の事務所が佐賀市。その佐賀市の先生がもうお年を召した先生で、70ぐらいの、昔ながらのサービスをしている先生。最後の先生は40ぐらいの先生。その比較的若い先生は、独立して7、8年の先生で、いわゆる「イケイケ」の先生でしたね。」

税理士事務所は、税務署勇退後に開業したという事務所も多い。そのため、所長の税理士が高齢ということはよくあることだ。公門税理士が開業した13年前では、まだまだ決算書や帳簿を手書きで行っていた事務所もまだまだ多かった時代である。

パソコン会計が一般的になった現在では、手書きの決算書など一笑されてしまうだろうが、実は手書きこそ緻密な計算と能力が必要であり、公門税理士はそこでも力を蓄えられたという。

「佐賀市の事務所での経験があるので、当事務所の決算書のクオリティーは高いですね。昔ながらの記帳代行の緻密な仕事が今も生きている。当時、そこしかそういった事務所がなかったので、この経験には本当に感謝してますね。」
独立開業はどのくらいから意識を?
「久留米、佐賀、福岡の順で移ったわけですが、福岡に移る時ですね。2年勤務、また2年勤務。そして最後の2年に移る時に、独立前提で入所しました。言うまでもなく、九州では福岡が一番大きな都市なので、福岡で経験をしようと。そういう計画でした。

ところが、営業的な、経営的な開業の準備は全くしなかったんです。開業するに値する能力、最低限の実務能力を付けるので精いっぱいで。企業税務から相続まで一通り、何でも経験をして、独立と。だから、集客とかそういった知識もなく、全くゼロで独立しました。」

開業準備をせず、独立開業する税理士は多い。そのため、その多くが顧問先獲得に苦労する。公門税理士の場合はどうだったのか?
仕事を取るために、どんな努力を?
「仕事の取り方は、独立してから考えました。最初は、私は人。リアル営業ですね。ただ、JCとかロータリークラブとかあるじゃないですか。ああいう団体には属さなかったです。性格的にどうも苦手で…(苦笑)。上下・横があって、縛られるのが嫌いで、しなかったですね。

ただ、ここで福岡勤務時代の経験が生きました。福岡の先生は、気心が知れるような仲間・銀行・保険会社、ここら辺とネットワークをしっかり組んで、獲得されてたんですね。それを真似しようと思ったんです。その後、地道にそういった知り合いを増やすことによって、仕事が増えていきました。

地方都市の場合、地域の経済団体に所属するのが一般的だ。しかし、公門税理士はあえて所属しない道を選択する。開業準備は不足していたというが、ビジネスの基本である事例を元に実践する、ということは最初から無意識に行っていたようだ。
その後、どのようにして売上を伸ばしましたか?
「ネットですね。開業8年目。その1~2年前から準備をしていました。時代の流れで、ネットから顧問が取れるという情報は持ってましたので、ネット営業が必要と。その後、ある大手コンサルティングファームの研修を受けて、これはいけるんじゃないかと。ただ、自分ではホームページとかは作れないので、そのコンサル会社にコンサルティングをお願いすることにしました。

ホームページはお手製のがあったのですが、何に特化するかというのを、コンサル会社と打ち合わせしながら決めていきましたね。で、地方都市なので、会社設立特化型がいいだろうということで、じゃあそれをやりましょうと。

成果はすごかったですね。数字でいくと、年間20社、取れましたね。それまでの顧問獲得数が、アナログな営業で年間15社。多くて20社。これにネットからの顧問獲得が20社増えたわけですから、ほとんど倍増ということになったんです。

地方都市は、ライバル不在という場合が多い。佐賀市も多分にもれず、公門税理士の一人勝ちになったという。ウェブサイト制作からリスティング広告出稿は、やはりどの地域でも強い。

「でも、最初の半年はやはりあんまり反応がなかったですね。その後、リスティング広告をずっと掛け続けて、半年後ぐらいから効果が出てきて、で、1年後にはもう効果が出たという感じですかね。

ちょうどネットが大きく広がる時期でもあったし、佐賀市の税理士でそれに取り組んでいる人は多くなかった。それも大きな勝因なのではないかと考えています。そこは、この地方で生まれて、地方でやっている地の利かなとは分析していますね。」

公門税理士のネット戦略に、特別な工夫はないという。オーソドックスにサイト制作のセオリーを守り、広告を出す。ただ、ひとつだけ見えない工夫があった。

「私のネット営業は実にオーソドックスです。ただ、もし違いを挙げるならば、僕のやり方は、東京に行くということなんです。東京に行って、情報収集して仕入れる。それを田舎の佐賀に落とすというやり方なんですよね。で、この活動をしてる人がほとんどいないので、これが強い。アメリカから日本に持ってくるみたいな感じですね。」

士業で飛躍的に成功する人は、距離をいとわない人が多い。逆に言えば、移動することにかかる費用、時間を気にして情報収集のやり方をネットからだけ、地元からだけに終始していると、伸びないことが多い。結局のところ、本当に欲しい情報があれば、待つのではなく、自分から取りに行く姿勢が重要だ。

「だから、振り返れば、行動したっていうことが最大の要因かなとは思いますね。東京や大阪に行けば、もっとレベルの高い人がいるし、刺激にもなる。そういう意味でも移動は良かった。

副産物としては、移動時間でものごとを考える時間をつくれたことが良かったと思っています。普段は日常業務で忙殺されているし。じゃあ週末、時間取って考えようかっていっても、環境が同じなのでなかなかそうもいかない。飛行機に乗っている時間は最適の時間でした。」

経営を伸ばすには、時に立ち止まって考えることが重要だと言われる。じっくり時間を取り、今後の経営や方針について考える。その時間を作り出したことも、公門税理士の成功要因であるといえるだろう。その考える時間の中では、他事務所との差別化もじっくり考えたことのひとつだと言う。
事務所の特長や差別化はどのように考えていましたか?
「コミュニケーション能力ですね。会計事務所に合計6年間勤めた時に、やはり業界に入ったらイメージと実際が違ったんです。もう、ただ事務だけしてるように感じました。こう言っては何ですが、雰囲気的にいうと暗いし、温かさっていうか、そういうのが全然足りない。

本当にお客さんとの付き合い、お客さんのことを考えてやっているのかどうか。やってはいるんでしょうけど、帳簿作るのが仕事のように感じました。もうそれで私は終わりですよみたいな…例えば、極端な言い方をすれば、クライアントの数字が良かろうが悪かろうが関係ない。そんなところをすごく感じたんですよね。

だから、それでは会計事務所が入る意味がない。やはり人と人。仕事は人と人じゃないですか。そこできちんとコンタクトをとって、コミュニケーションをとって、で、お客さんが困っていること、悩んでいることをしっかり見つけて解決する。そこまでしなければ、経営的に役に立てないよなというふうに思ったんですよね。

今考えれば当たり前のことなのかもしれませんが、これができていない会計事務所も多かったのではないかと思います。」
お客様の反応はいかがでしたか?
「反響はやっぱりいいですね。頼ってもらっています。お客様の大多数が中小企業なので、なかなか経理部みたいなのがある所が少ない。人がいても、パートか奥さんみたいな場合が多いので、そこのバックオフィスみたいな感じで携わっています。

何かあればすぐ電話を、「この漢字、読めないんですけど」とかで電話かけてくる人もいるんですよね。そのくらいの人と人の付き合いをしながら、一緒に仕事をしてるっていうのが、うちの特色である強みですかね。そこで手抜きしない、丁寧にやるというのが案外重要なことなんです。」

会計事務所といえども、人と人のコミュニケーションの上に成立しているのは間違いない。ところが、公門税理士が重要視しているコミュニケーションに本当の意味で力を入れている会計事務所は決して多くない。特にスタッフ教育となると、途端にコミュニケーションレベルが下がってしまう場合も多い。公門税理士の事務所は、スタッフ全体のコミュニケーションレベルの向上に務めているという。

「税理士を変えたいという相談も来ます。その場合は、ほぼ100%うちの事務所に替わります。サービスの質、税法とか会計的に難しいことができるということもあるのですが、面倒見がいいって感じですね。手取り足取りっていうか。そうすると、「ここまでしてくれるんですか」みたいなことはよく言っていただけますね。」

順調に事務所を伸ばしてきた公門税理士。しかし、これまでには苦労もあったという。

「大変だったのは、平成24年、25年。ウェブを始めて20件顧問が増えた。40件増えて、次の年はさらに70件近く顧問が増えました。受け入れ体制としては、少し厳しかったのですが、断ったら次ないという気持ちがとても強かったので、基本的に全部受け入れてきた。品質を維持しながら、仕事を回していくのがすごく大変でしたね。

キャパを超え、組織が徐々に疲弊してきました。当然、全員がずっと辞めないわけではなく、離脱する社員もいれば、より大変になる。このあたりは本当に大変でした。」
社員教育はどのように考えていますか?
「基本的にOJT。うちは。教育が十分できているかっていうと、まだまだ社員頼りな部分が多いんですけど、基本的にはもう楽しく元気に明るくやろうっていう。もう、そこだけは一貫してやっています。

社内の飲み会はやりますね。やはりお客さんと一緒で接点を持つことが大事なので、飲み会はでいるだけ月1回はやるようにしています。最近ではランチミーティングを結構やっていますね。私が事務所にいて、昼間いる時に、順番に1人ずつ誘って、1対1で食事をする。そこで仕事のこと、プライベートのこと、で、コミュニケーションをとるようにしていますね。距離感は近くするようにしていますね。

様々な評価制度や教育システムがあると思うのですが、やはり人。膝を突き合わせて話すということが、もっとも大事なのではないかと考えています。だから、人間関係は今はいいですね。仕事も楽しいし、家族的な感じは強いですね。みんなで頑張っていこうよみたいな意識は強いみたいですね。
公門税理士は、LEGALBACKSを活用していただいていますが、いかがでしょうか。
「僕は、正直に言えば、もっと早く出会っとけば良かったなと思います。入会すると、2冊の基本カリキュラムをいただけますよね。あれが僕の場合は欲しかった。僕は開業10年目にLEGALBACKSに出会ったわけなのですが、そのカリキュラムには、僕がやってきたことが全部乗っていた。しかも、コンサル会社に高い報酬を支払ってやってきたことが(苦笑)。

正直、お世辞とかじゃなくて、「すごい」みたいなっていうのが最初の印象でしたね。正直に言えば、掲載されている営業方法とかは、実践済みのことが多かった。ただ、やってきたことが全部載ってたので、自分は間違ってなかったんだという、大きな確信と自信を持てましたね。

10年進んできて、「さあ、これから自分の事務所、自分、どこに進もうか」という時の参考にはなりましたね。
「GeniusSearch」をご覧になっていかがですか?
「いや、これもお世辞抜きに、素晴らしいと思いましたね。このサイト、宝箱みたいなもんですよね。知恵が集結してるものだなと思いましたね。やはり独立して最初の頃って不安で、どうしていいのかってみんないっぱいあると思うんですけど、本に載ってるものと載ってないものってあるじゃないですか。で、意外と素朴な疑問、これ、どうなんだろうっていうようなことが、これ見たら解決できるなと思いましたね。」

GeniusSearchには、2008年からの相談のQ&A、過去のLEGALBACKSの動画、それからメルマガのバックナンバー、等が収録されている。そのほか、お勧め書籍やリンク集など、士業にとって必要な知識や事例が網羅されているのが特長だ。

「昨日、早速拝見したんですけど、例えば、セミナーする時にマイク使ったらいいかどうかとか、些細なことでも気になることっていっぱいある。そういうのまで載っているんですから、こんな便利なものはない。ほかにも、セミナーの特典は付けたらいいかとか、そういうことってハウツー本に載ってないんですよね。そういう素朴な疑問が解決できるからすごいなと思いましたね。例えば、ここのメルマガって読者何人集まったら始めたらいいとか。そういう細かいところに届くみたいなのが入っているみたいで。

誰しも通っていく道で、そこを越えていったところにあったものが全部ここで見れると思う。だから、このサイトがあればほとんどの不安がなくなるんじゃないかと。こういうのも他ではないですね。「同業者に仕事をお願いしたら、紹介料幾らぐらい」だとか。」

GeniusSearchの狙いとしては、Googleでは見つけられないノウハウであるということが大きなポイントだ。先人が悩み、解決したことを元に自分の解決ができる。知識は検索できるが、体験は検索できない。LEGALBACKS1700名以上が実践した経験を元につくられている集合知なのである。

「ほかにも、自分が何かする時に間違いないかどうかをここで確認できる。これで良かったのかとか、こうしたらいいんだみたいなのを。そこが不安なままやってる場合が多いと思うんですよね。

開業当初の人から、僕のように開業10年とか、皆さんいろいろステージがあって、ステージが違うけど、ステージごとで活用ができますよね。だから、僕はセミナーとか、そこをやっぱ集中的に見ましたもんね。そういった意味では、先行公開版だけでも早速、役に立ちました。
あらためて、経営がうまくいった秘訣を今考えるならば。
「お客さんに対して、一所懸命向かい合って仕事してきたってことに尽きると思います。マーケティングのツールは、やはり手段。やはり実のところ、ちゃんと対お客さんの気持ちがあって、姿勢があってこそだと思います。

結局、なんで依頼があるかっていうと、困っているからなんです。できないからです。私たちも病気になったら、自分でどうにもならないから医者に行くのと一緒で、だから、そこに何らかのお客さんの困り事があるので、そこをいかに取り除いてやるか。そういうスタンスでちゃんと向き合ってきたから、信頼していただいたしっていうところかなっていう。」
今後、どのような事務所を目指していきますか?
「もっと距離感が近い関係の事務所づくりをしていきたいですね。だから、拡大はあまり考えていない。実力を付けて、お客様と密になっていきたい。

税理士が決算して税金申告するのは当たり前ですけど、「税理士の仕事というのを通して何するか」という時に、命をつなぐこと、命をつなぐ仕事をするべきだと思ったんです。

会社法人立ち上げると、これも法「人」だと。だから、ずっと永続させていかないといけない。続けることって大変なので、10年たったら大体90%倒産するじゃないですか。それをつないでいく仕事。それから、社長の命をつないでいく仕事。この社長の命は、その家の継承ですね。それを支援していくっていうスタンスでちょっとやりたいなと思っていて、それが私にとっての税理士の本分なのではないかと思うんです。

そこから税金の計算があるんで、もうそれもツールの1つにしかすぎないので、そういった視点で関わっていきたいなっていうのはありますね。」

アナログ営業、ネット営業で伸びた公門税理士。クライアントとより密接に仕事をしていくのが今後の目標だという。最後のインタビューで印象的だったのが、税理士として携わるということは「命をつないでいく仕事」だという言葉。会社は永続し、人は継承されていく。税理士は本来、計算をするだけではない。そうした本当に重要な仕事を担っていることを私たちに思い出させてくださったことも、今回のインタビューの成果なのかもしれない。

(取材・撮影・執筆 パワーコンテンツジャパン株式会社)
公門 章弘(くもん あきひろ)
税理士、タグボートコンサルティング株式会社 代表取締役
ランチェスター経営『戦略★社長塾』佐賀校塾長
1970年、佐賀県生まれ。佐賀大学大学院修了。2004年、34歳のときに公門税理士事務所を設立し独立。 顧問先3件、スタッフ1名からのスタート。税理士事務所であるが民間企業に変わりないという視点で戦略戦術を考え、マーケティング活動を行う。「自らが経営する事務所で実践し、成功しなければ経営コンサルティングとは呼べない」という信念のもと、開業10年で顧問先200件、年商1億円規模まで業績を伸ばし、文字通り佐賀で地域一番のサービスを提供する事務所となった。自身の経営する「公門税理士事務所」にてランチェスター経営戦略を実践。

徹底的に地域で圧倒的一番になるにはどうすればいいのかを考え、平成24年度は顧問先50%UPという驚異的な数字をたたき出す。平成25年度は顧問契約実績67件。人口30万商圏において顧客獲得数日本一(コンサル会社調べ)の結果を残す。2008年、株式会社タグボートコンサルティングを設立し代表取締役に就任。コンサルティング事業、記帳代行事業を本格的に始動。2011年、会社設立支援事業を開始し起業家の会社設立・資金調達・税務会計・労務を一貫してサポートできるグループを組織する。

2013年、財務金融支援事業部を設立し中小企業の資金調達、財務改善コンサルティングに本格的に参入。社内において金融機関の審査レベルの機能を構築。2015年、タグボートコンサルティング株式会社(福岡市)を設立し代表取締役に就任。セミナー事業、社長教育事業を本格的にスタートさせる。「佐賀を元氣にする、日本を元気にする」をモットーに、日々奔走中。